デビュー25周年に
原点回帰&集大成

2019年は、山崎まさよし氏が多忙を極めた1年だった。約14年ぶりに主演した長編映画『影踏み』(篠原哲雄監督)が公開され、その主題歌も収録した約3年ぶりのオリジナル・アルバム『QuarterNote』をリリース。それらをPRするために、多くのメディアに登場した。

「タイトルは、“4分音符=25”という意味です。デビューしてからの25年間の集大成的なものと、僕の根底にある音楽的な造詣を注ぎ込むものになったと思います。それでいて、世の中をちょっと斜に見ている独り善がりなところも出ている気がします。3年前に出したアルバム『LIFE』のほうが、落ち着いて老成している。今回のほうが尖っているし、突っ込んでいると思います」。

48歳にして原点回帰した感のある彼は、25年前のデビューについて、「学生時代からの流れでした」と淡々と振り返る。山口県防府市で青春時代を送った彼にとっての音楽の原体験は、高校時代に文化祭に出るために組んだバンドでドラムを叩いたことだった。「小学生の頃から地元の神社のお祭りで和太鼓を叩いていたので、『できるだろう』という流れになって。ドラムセットを買ってくれたのは祖母です。そこから地元の楽器店に出入りするようになって、自分でギターも買って。狭い町ですから、社会人の人にドラムやボーカルでバンドに誘われたりするうちに、なんとなく『普通に就職するよりかは音楽で食っていきたいな‥‥‥』と考えるようになりました」。

高校卒業後はアルバイトをしながらオリジナル曲を制作し、コンテストにも出場。レコード会社のオーディションにデモテープを送ったところ、最終選考まで残り、上京。そしてデビューに至った。「何かに衝撃を受けて『ミュージシャンになる!』と思ったことはなかったです。ただ音楽が好きで、楽器が好きで、自分で作った音楽を人に伝えるためにステージに立っていたら、ミュージシャンになったという流れです」。

「タイトルは、“4分音符=25”という意味です。デビューしてからの25年間の集大成的なものと、僕の根底にある音楽的な造詣を注ぎ込むものになったと思います。それでいて、世の中をちょっと斜に見ている独り善がりなところも出ている気がします。3年前に出したアルバム『LIFE』のほうが、落ち着いて老成している。今回のほうが尖っているし、突っ込んでいると思います」。

48歳にして原点回帰した感のある彼は、25年前のデビューについて、「学生時代からの流れでした」と淡々と振り返る。山口県防府市で青春時代を送った彼にとっての音楽の原体験は、高校時代に文化祭に出るために組んだバンドでドラムを叩いたことだった。「小学生の頃から地元の神社のお祭りで和太鼓を叩いていたので、『できるだろう』という流れになって。ドラムセットを買ってくれたのは祖母です。そこから地元の楽器店に出入りするようになって、自分でギターも買って。狭い町ですから、社会人の人にドラムやボーカルでバンドに誘われたりするうちに、なんとなく『普通に就職するよりかは音楽で食っていきたいな‥‥‥』と考えるようになりました」。

高校卒業後はアルバイトをしながらオリジナル曲を制作し、コンテストにも出場。レコード会社のオーディションにデモテープを送ったところ、最終選考まで残り、上京。そしてデビューに至った。「何かに衝撃を受けて『ミュージシャンになる!』と思ったことはなかったです。ただ音楽が好きで、楽器が好きで、自分で作った音楽を人に伝えるためにステージに立っていたら、ミュージシャンになったという流れです」。
山崎氏が音楽的に大きな影響を受けたのはブルースだった。最初の衝撃は、40年代に高く評価されたライトニン・ホプキンスの、代表曲『モジョ・ハンド』。「ギター一本なのに、どう弾いているかわからないうえ、ひとりで演奏しているとはどうしても思えないグルーヴがあって。バンドは人が集まらないとできないけれど、ブルースはひとりで、しかもギター一本で成立する。

そのたくましいスタイルも魅力的でした」。映画『クロスロード』(1986年公開)では、27歳で夭折したロバート・ジョンソンを知り、彼のCDをボックス・セットで購入。この映画は、四辻(クロスロード)で悪魔に魂を売って、ブルースのテクニックを手に入れたというロバート・ジョンソンの伝説が映画の重要なフックとなっている。

しかし、山崎氏はブルース・ミュージシャンになる道は選ばずに、自分なりの音楽を探求しはじめる。「ブルース・ミュージシャンの道は、『個人的に追い追い‥‥‥』ってことでもいいのではないかと思っていて。自分が『これだ!』と信じたものだけを作ろうとすると、生きづらいですし、息苦しくなる気がするんです。僕のやりたいことと、聴き手のニーズみたいなものが、重なる円があるとしたら、世の中は絶えず動いているので、その円の形も場所も流動的に変わる。曲作りは、非常に微妙なバランスのうえに成り立っているなと思います」。

 例えば、今回のアルバムに収録されている『ロートルボクサー』のトラックを作ったのは2002年だが、当時はスタッフからの評判が芳しくなく、お蔵入りになっていた。しかし、今回のアルバム制作のために聴き直してみると、10歳下のマネージャーが「かっこいいですね!」とサムズアップ。山崎氏は17年前のトラックに、現在の自分を見つめた詞をつけた。「トラックだけ聴くと、30代の頃に作っているので、『若いですね』『まだまだやる気ですね』って言われます(笑)。この歳になっても弱さや悔しさみたいなものは相変わらずあって、それをモチベーションに替える癖も変わらない。だからギターを練習したいけれど、指は年々動かなくなって‥‥‥みたいなことを考えていたら、こういう歌詞になりました。楽曲と詞に、17年越しのケミストリーを起こせた気がします」。

ボクサーというのはあくまでもシンボルであり、詞に綴られる葛藤や悔しさは、同世代の多くが抱いている普遍性を含む。しかし、山崎氏にとって、詞を書くことは普遍性とは真逆の、自分にとことん向き合う私的な作業だという。「デビューの頃からずっとそうです。正直になればなるほど、自分の嫌な部分にも向き合うので、非常に身をそがれる思いがあります」。  詞のテーマは、日頃から引っかかっていることや問題視していることが多い。アルバム一曲目の『Regression』は、いわゆる“自己承認欲求”に対する問題提起が含まれている。「SNS などでプライベートを過剰に晒すことに対する危惧を詞にしました。詞に関しては、結構露骨な言葉を使いますし、具体的なポイントに突っ込むほうです。人があえて取り沙汰さないことを『これってどうなん?』と指摘して、問題意識を促す癖があるんです。そういう風に、自分のモヤモヤを詞にして、トラックに乗せて、音楽という形にして、表明する。それがうまく出せると、自分のなかで決着がつくので満足する。自分が内包するものを音楽という形にして表明したいだけなんです」。

 私的な意見や想いを込めた楽曲が、普遍性をもち、スタンダードな曲になることについては「その曲が自然と普遍性をもてばいいなとは考えています」と想いを語る。「自分自身を表明した曲も、自分の手を離れて、聴く人のものになっていく。その人のフェイバリットになって長く聴いてもらうにあたり、色褪せない生命力みたいなものが自然に曲に宿ってくれることを、願っています」。

その生命力が、初めて聴いたのに懐かしく、何十年たってもフレッシュな、山崎まさよしが作る音楽の源なのかもしれない。「人形を作る人が、目を入れるときに生命力が宿ることを願うらしいんです。『ここ!』と意識はしてないですし、そのやり方もわかりませんが、楽曲作りにおいてもそういう肝となるポイントがあるんじゃないかとは感じています」。

 タイアップなどで「ラブソングを」とオーダーを受ける場合は、お題と自分の間の接点を探る。「愛という言葉でいえば、自己愛や物質への執着もラブなので、大きくくくればすべての歌がラブソングかもしれない。若い頃はテクニックを誇示したがったけれど、今は、わかりやすさを意識しながら作っています」。

数々の名曲を生み出してきた山崎氏が考える、“いい音楽”の定義とはなんなのだろうか。「僕が思う“いい音楽”に不可欠なものは、その人にしか出せない声、ですかね。声というものは、同じ音のするものがこの世に2つとない楽器だと思うんです。ロバート・ジョンソン、ライトニン・ホプキンス、スティビー・ワンダー、マーヴィン・ゲイ‥‥‥彼らの声は、どんな歌を歌っても一発でわかる強さと安心感があるから、スタンダードになりうるわけです。10代の頃、ギター一本で成立するブルースに惹かれたのは、僕にとって声が重要だったから。そうでなければ、ジャズやクラシックといった、インストルメンタルでもよかったわけですよね」。

 山崎氏の最大の武器も、温かみがありノスタルジーを感じさせる歌声だ。彼の曲が何年たっても色褪せないのは、比類のないその声にあるのかもしれない。「バラードも激しい曲も、全部同じ声で歌っているので、僕だということは伝わりやすいかもしれないですね。ただ、賛否は分かれますよ。でも、変えようがないものですし、変にいじるのも無理ですけど、もっと歌がうまくなりたいとは思っています。練習次第で、まだまだ伸びしろはあるんじゃないかなと」。

 すべての楽器を自分で演奏し、音を重ねてレコーディングするマルチプレイヤーの彼は、楽器に関しての技術を重視してきたが、歌唱力に対しても貪欲だ。「最近、クラシックの音楽家の方々とお仕事をする機会があって。あの方たちのスキルアップへの意欲と努力する姿に刺激を受けました。緊張やストレスなど、少しでも不安材料があると歌声に大きく影響するので、厄介なんですよね。声は、すごく“ここ”(心)に左右される繊細な楽器だと思います」。

 2020年2月からは、全国20会場を巡るライブツアーがはじまる。「今回はバンドサウンドです。ドラム/江川ゲンタ、ベース/中村キタロー、ギター・ボーカル/山崎まさよしという、20年以上前から一緒にやっているトリオバンドに戻ります。3人とも年齢が結構いってるんで、そろそろ落ち着きと余裕をもった演奏をしながらも、とんがったものができるんじゃないかと、ワクワクしてます」。  その先に見えてくるのは、30周年だ。そのとき、山崎まさよしは53歳になっている。「好きでやっている音楽を30年もやったら、もうなんの言い訳もできないですよね。言い訳をしたら、自分の30年間の音楽への想いを否定することになりますから」。

 彼の音楽が瑞々しい理由は、彼のこの音楽への愛情が、常に泉のように湧き出ているからだろう。「あまり“新しいもの追い”ではなく、どちらかというと掘り下げるほうなので、曲作りの方法もスタンスも25年前と変わりませんし、これからも変わらないと思います。“ 追い追い”と思っていたブルースを歌う時間を増やすのは、30周年の頃かもしれませんね」。
 好きではじめた音楽を愛し続けるためにも、彼はこれからも愚直にまっすぐに、音楽に向き合っていく。

山崎まさよし
1971年、滋賀県生まれ。
1995年に『月明かりに照らされて』でデビュー。 1997年公開の主演映画『月とキャベツ』の主題歌『Onemore time, One more chance 』がロングヒットし、ブレイク。全国ツアーをはじめ、全国各地のフェス・イベントへの出演、セッション参加や映画音楽制作、TV、ラジオ、CM 出演など活動は多岐にわたる。
2019年11月に公開された映画『影踏み』では約14年ぶりとなる長編主演を務め、また同月、約3年ぶりのオリジナル・アルバム『Quarter Note 』を発表。 2020年2月からは3年ぶりとなるバンドツアー『YAMAZAKIMASAYOSHI CONCERT TOUR 2020"Quarter Note "』が控えている。