調子が悪い時ほど
心の力が必要になる

「試合に負けた一昨年と、防衛戦に勝って迎えたこの年末年始と、家族で過ごす時間は何ら変わりがなかったですね。こうして変わらないものこそ、本当に大事なんだなとあらためて思いました」。

リングでの闘志に燃えた鋭さとは対照的に、和やかな口調で話しはじめた村田諒太選手。早速、ボクシングにおけるメンタルの力をどう考えるかを尋ねてみた。「選手によって個人差があると思いますが、僕が賛同するのはプロゴルファーの青木功さんが仰った『心技体じゃなく、体技心だ』という言葉です。体が先にあって、ハートがついてくる。ボクシングの調子がいいときって、実は心は必要ないんです。逆に不調を抱えた難しい状況では、そこを堪える心の力が必要になる。対人競技では、やはりメンタルの影響は大きいと思いますね」。元来、メンタルの強いほうではなかったという。こどもの頃にはジェットコースターに乗るのも嫌だったらしい。ひと際、層が厚く強者がそろうとされるミドル級、その世界チャンピオンの意外な素顔である。「ネガティブなものにも引っ張られやすいんです(苦笑)。一説によると人間は、ネガティブなものを見ることで常にある死の恐怖から目をそらして安心しているんだそうです。だから、むしろ進んでネガティブな考えごとをする。本質的な死の恐怖から逃げるための防御策なんですよ。夢や目標に向かうときも、後ろ向きな考えに囚われることがありますよね。それは前に踏み出して傷つくことを避けたいがため。人間がもつ防御本能のようなものかもしれません」。

心のありようのわずかな違いが勝敗を左右するのが、トップアスリートの世界だ。世界王者は自らのネガティブさをどう客観視し、克服してきたのだろう。「自分の感情やネガティブさを客観的に見ることは、そもそも不可能だと思うんです。結局は主観というフィルターをとおしたものですからね。なので"自分が見ている自分"にはなりますが、『自分を知ること』が重要だと思います。何に対してプレッシャーを感じ、怯えているかを明確にする。そうすれば、恐れへのアプローチ法が見えてくる。見えない、わからないからこそ怖いんです。オバケみたいなものだって、実際に出てくりゃ、ぶん殴ってやればいいわけで(笑)。不安材料を見える化することで対策が立てられれば、その不安をマシにできるんです」。

リングでの闘志に燃えた鋭さとは対照的に、和やかな口調で話しはじめた村田諒太選手。早速、ボクシングにおけるメンタルの力をどう考えるかを尋ねてみた。「選手によって個人差があると思いますが、僕が賛同するのはプロゴルファーの青木功さんが仰った『心技体じゃなく、体技心だ』という言葉です。体が先にあって、ハートがついてくる。ボクシングの調子がいいときって、実は心は必要ないんです。逆に不調を抱えた難しい状況では、そこを堪える心の力が必要になる。対人競技では、やはりメンタルの影響は大きいと思いますね」。元来、メンタルの強いほうではなかったという。こどもの頃にはジェットコースターに乗るのも嫌だったらしい。ひと際、層が厚く強者がそろうとされるミドル級、その世界チャンピオンの意外な素顔である。「ネガティブなものにも引っ張られやすいんです(苦笑)。一説によると人間は、ネガティブなものを見ることで常にある死の恐怖から目をそらして安心しているんだそうです。だから、むしろ進んでネガティブな考えごとをする。本質的な死の恐怖から逃げるための防御策なんですよ。夢や目標に向かうときも、後ろ向きな考えに囚われることがありますよね。それは前に踏み出して傷つくことを避けたいがため。人間がもつ防御本能のようなものかもしれません」。

心のありようのわずかな違いが勝敗を左右するのが、トップアスリートの世界だ。世界王者は自らのネガティブさをどう客観視し、克服してきたのだろう。「自分の感情やネガティブさを客観的に見ることは、そもそも不可能だと思うんです。結局は主観というフィルターをとおしたものですからね。なので"自分が見ている自分"にはなりますが、『自分を知ること』が重要だと思います。何に対してプレッシャーを感じ、怯えているかを明確にする。そうすれば、恐れへのアプローチ法が見えてくる。見えない、わからないからこそ怖いんです。オバケみたいなものだって、実際に出てくりゃ、ぶん殴ってやればいいわけで(笑)。不安材料を見える化することで対策が立てられれば、その不安をマシにできるんです」。
自分を知ることは、トップアスリートならずとも、人がよりよく生きるうえでの重要なテーマ、といえるだろう。 「自分がどう思っているかを、できるだけ正直に理解する」という村田選手は、試合前にメンタルを整える独自の方法をもっている。「試合前はホテルにこもるんですが、その室内で『何をビビッてるんだ』『仕方がないだろ、試合だ』『負けるのが怖いんか』などと声に出し、僕ひとりだけの"村田会議"をはじめるんです。人には見られたくないシーンですが(笑)、その会話から自分の気持ちがわかってくる。例えば、対戦相手よりも、負けたときの世間の声が怖いんだなと気づくんです」。村田会議をはじめたのは、世界前哨戦の可能性が浮上した2016年12月の試合前。アマチュア界の世界トップの座からプロになり、いち挑戦者に転じて"荒れていた"という時期を乗り越え、世界王者がその視野に入ってきた頃である。

「ブルーノ・サンドバルという強い選手にいい形で勝たなきゃというプレッシャーに、追い込まれてたんです。そして、ブツブツと。それまでは悶々と、ごまかしていた気がします。でも向き合わなければ、解決はできないんですよ」。相手がどう打ってくるか、かつ試合の結果自体はコントロールできない。それなら、自分がコントロールできることを考えよう。自分のプレイを高め、いい結果に近づけるためにどんなファイトをするか。それだけに集中する。「『ほかにやれることはあるのか』『ない』『じゃあ、ほかは考えるな』と会話して、眠りにつく。でも数日後、『この前も話したやろ』と同じことを繰り返したりも」。

内側の不安要素をそうしてアウトプットして整理することで、勝負に勝つメンタルを整えていく。「最終的にはすごくシンプルになって、考えないことが大事です。例えば禅の行では、座禅を組んで呼吸にだけ集中し、今というものに焦点を絞ってほかのことは考えない。写経や家事なども同じだと思います。試合中はまさにその状態で、目の前のものだけに集中し、閃きがあるだけです。ただ、何かを考えるほうが簡単で、シンプルに無の状態になるのは難しいんです。そこで僕は試合前はできるだけ考えない時間をつくり、練習内容もシンプルにします。こうしてシンプルでいられるようになったのは、横に広がろうと、いろいろな経験をしたからこそだと思います。必要なものと不要なものがわかり、自分の得意、不得意も見えた。自分のスタイルを確信できるようにもなった。継続することの大切さも実感してます」。

村田選手はしばしば「本が助けになった」という発言をしている。たしかにその言葉には、心理学書や哲学書を読んできたという思索のあとが垣間見える。文芸誌で芥川賞作家と対談するなど、"本好きなアスリート"としても知られている。「本を読んでいなかったら、絶対にチャンピオンになってないです。きっとどこかで折れてました。本って、その世界に入れば現実逃避できるじゃないですか。そこで気持ちがリフレッシュできて、勇気が湧き、ボクシング以外の自分の世界がもてる。本がなければ、今の僕はないですね」。  プロに転向した頃に読書家の父から送られてきたことが、本を読みはじめたきっかけだ。 最初に手に取ったニーチェの超訳本で、おもしろさに目覚めた。試合前に家族と離れてホテルに滞在する際には、持参する本のセレクトを考えるのも習慣となっている。 愛読書のひとつ、マルクス・アウレーリウスの『自省録』を開き、「今の僕に当てはまる言葉がここに」と見せてくれた。世間での名誉は変わりやすく、人間はみんな宇宙全体の一部でしかない……といった意味の記述があった。「仏教の行雲流水や諸行無常に通じるようなことが書かれてますよね。例えば、自分でずっとチャンピオンでいたいとしてもそれは無理。どれだけ拍手喝采を浴びてもいつか消える。読み返すうちに、チャンピオンというより人としてどう生きるか、メンタルを整えよう、そろそろセカンドキャリアのことも考えよう……といったことを教えてくれるんです。これだけ長くボクサーを続けられることにも役立ってます。本は、ものすごく大事な存在です」。

ヴィクトール・E・フランクルの『夜と霧』も再読する一冊だ。ユダヤ人としてアウシュビィツに囚われた著者が、心理学者の冷静な目で強制収容所での日々を綴った20世紀の名著である。「『自省録』の訳者、神谷美恵子さんにも興味をもち、『生きがいについて』という著書を読んだのですが、その内容は『夜と霧』にも通じるんです。生きる意味を奪われた人間が、いかに自分の意志を失わずに人生に向き合ったかなど、共通点が多くて。『夜と霧』にはドストエフスキーの名前が何度も出てくるので、ドストエフスキーのことも調べました。『罪と罰』はあと少しで読み終わります。でも、おもしろいから先を読みたい反面、重たい話なので進むほど気持ちが暗くなって、本を閉じるんです。試合前にドストエフスキーは絶対読みませんね(笑)」。

「2020年は勝負の年」と定めている。昨年、一度陥落したWBA世界ミドル級チャンピオンのタイトルをロブ・ブラント選手から奪還し、年末にはスティーブン・バトラー選手を相手に初防衛に成功。今年はいよいよ、"ビッグファイト"を目指す年なのだと。「今、ミドル級には世界的に最も人気のあるサウル・カネロ・アルバレス選手がいます。4階級のタイトルを持つ選手なので、彼がどこを選ぶかはわかりませんが、対戦できればベストですね。僕はこの年齢まで続けているとは思っていなかったんです。なので、どこまでやれるかというゴールはもう決めない。一つひとつの試合を区切りの勝負だと考えてます」。

 現在34歳。肉体を鍛錬し続け、読書や座禅といったものをとおして勝負に打ち勝つメンタルを養った村田選手は、かつてなく強い。「最近、モチベーションの正体がわかってきたんです。モチベーションの先には夢や目標がありますよね。でも、そこへ続くプロセスが欠けていれば、成功しない。勝つための作戦、練習をどう準備し、積みあげるか。ブラントに負けた試合とバトラーに勝った試合では、明らかにそこが違いました。モチベーションとは単にやる気を意味するのでなく、目標に向けてやるべきプロセスを詰めていく能力であると。そしてそれは、積みあげるほど向上するんです」「自信」についても、自らの言葉で解明してみせてくれた。努力の末に結果が出て初めて、その努力は肯定される。

 「努力に実績が伴えば、自信になります。僕の場合、世界チャンピオンになったという成功体験が、自分のやり方を認め、自信を与えてくれました。逆に、努力してダメだったときの自信の失い方は半端ない。でも、そこで継続した人間だけが、その先のチャンスを得ることができる。使い古された言葉のようですが、『継続は力なり』なんです」。やはり『自省録』にあった「人間は宇宙の一部」という一編を、村田選手は自らの内側に落とし込んでいる。「宇宙のひとつ、日本を構成する要素の一人として、自分にどんな貢献ができるかということを考えますね。ある程度満たされつつある今、応援してもらった恩恵を返す時期だとも思ってます。日本全体に貢献することは、人生のテーマとして常にもっていたいです」。

村田諒太
1986年、奈良県生まれ。
中学時代にボクシングをはじめ、東洋大学在学時の2004年に全日本選手権優勝。 現役を一度引退し、2009年に復帰。2011年の世界ボクシング選手権大会ミドル級をはじめ、世界の場で日本人最高成績を数々収め、アマチュア界の世界王者となる。
2013年にプロ転向。2017年5月にWBA世界ミドル級王座決定戦に敗れるも、同年10月、再挑戦し世界チャンピオンに。 2018年10月判定負けで王座陥落後、2019年7月リマッチで王座奪還。同年12月に初防衛戦に勝利した。